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片隅で平和を「祈る」まではいかないけど、、。 [雑感]

どんどん「分類」してゆく。
それは、食べ物か、そうでないか。
食べ物でも、肉か、魚か、野菜か、果物か。
野菜でも、それはキュウリかピーマンか。
キュウリとしたら、その種類は、産地は、生産者は、価格は。
成分は、水分量は、云々。

一方、
どんどん「まとめて」ゆく。
キュウリは野菜だ。
イチゴはなんだ。木に成らないから野菜か?
でもどっちも植物だ。動物じゃない。
だが、どっちも生き物だ。
石はどうか。生きてはいない。
でも、木片もそうだ。
そして、木片になる前は生きていた。
生きていないか生きているか、でもどちらも物体だ。
物体ってなんだ。万物は全て同じところから発したのではないか?

いやなに。

分類してゆけば「どこにも神様が」
収斂してゆけば「唯一神が」

「どこにも」が「八百万の神様。」
「唯一絶対の神」が「創造主。」

突然ですみません。

でもこう考えてくると
かみ合いませんな。

ということをふと思ったものですから。

考え方の根底にあるものが違うのに
「神」って同じ言葉を使うから揉めるのでしょうか?

「聖地」も「あがめるモノ」も
きっと同じなのに、どうして諍いは絶えないのでしょう?

いままたシリアで
戦争が起きそうだ。

そしてこの5月から以降
朝鮮半島でも何かありそう。

どちらも「宗教戦争」の体を成しているわけではないけれど

殴られたら殴り返す。
殴られそうだから、先に殴る。

殴る準備をしているから、蹴飛ばす。

殴るどころかもっと卑劣なことを「したらしい」から
遠くから射掛ける。

お互いが強力な力で胸倉をつかみ合っているから
保たれている「均衡」って、、、、。

なんだか空しくないですか?

とは言え、空理空論を唱えあう「話し合い」も
また空しい。

世界はどんどん
「オレが俺が」のリーダーばかりになってきた。
そりゃそれでもいいけどさ。

末端の小市民たちが、世界中諸国往来自由。
身に危険が及ばないように。
そんな風にしてほしい。だけです。

なにはともあれ
「神はどこでも見ている」んですよ。






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