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山形旅行の想い出 最終回 [雑感]

各地の見学もさることながら道中の話が想い出に残ります。

その頃の、仕事の様子について聞いてみました。
「まずは、どこに行っても歓迎されたね」
「そりゃそうだろ、俺らが来るまで、電気も水道も無いんだから」

昭和初期のころの現場では苦労話もあったんでしょう?
「今みたいに機械がないからね」
「道も悪いし、狭いしね」
「大きな発電機をどうやって運んだと思う?」
逆に聞かれます。

厳寒期に田んぼを借りて、村中の人と一緒に
竹を敷いて水を撒いて、氷の専用通路を作って
そこを、ソリにのせて馬で運ぶ。んだそうです。
致道博物館
などに、確か「重量物運搬ソリ・乗り合いの馬車ならぬソリ」などの展示があったような気がしますが
寒いことも、地形も何もかもを利用し
英知を結集して、村中総出で工事をしている様子が
微笑ましくもうらやましいような気分になりました。

それと良し悪しは脇に置いて書きますが

昭和の初期の若者たちは
男女を問わず広く「アジア圏」を意識していたみたいですね。
北はカムチャツカ半島から南はシンガポールあたりまで
東(?)はグアム、サイパンなどミクロネシアやハワイまで
西は当時の満州やシベリア、ロシアなど

高齢なので話は飛ぶし、前後するし、混同するし、意味不明な部分
ばかりの問わず語りがほとんどでしたが、

祖父の話の中に日本海を中心にした広い地域で
飛び回る若き日本人たちの活き活きとした姿がありました。

「戦争」の足音を背中に感じつつも
あるものは単身で、又あるものは家族で
どんどん、フロンティアを開拓しているような話がつづきます。

戦後、平和になったとはいえ
日本海の対岸の情報はもちろん、行き来も少ない今を思えば
うらやましい様な気がしました。


EPSON  1998年 6月 3日 水曜日 2019 30.jpg
出羽三山神社で

この旅を終え14年が経ちますが
「インターネットのホームページから問い合わせて訪問した方は初めてです」
と鶴岡市の広報の方に言われたことをいま思い出しました。

時代の変化はめまぐるしいですね。

当時のご関係者の方には御礼を申し上げます。

FH000001.JPG
玉川寺にて

長々お付き合い有難うございました!


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