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あれから4年半経過する石巻へお邪魔してきました。 [雑感]

MEMO なぐり書きです。
常磐自動車道 

前回は2011年の震災発生後3ヶ月を経たあとで、常磐自動車道は全通していなかった。
それが、今年http://jobando.jp/ 3月には全線開通したということで
そちらを利用した。
 車窓から眺めただけなのだが、第一印象としては 
放射能による被害の復旧は未だに緒に就いたばかりということだ。

IMG_4921.JPG
浪江町、双葉町といった甚大な被災地域では廃屋になりつつある住居や耕作放棄地が散見されたし、
その他の地域でも除染土が黒い1t土嚢につまれ、大量に「仮置き」してあるのが見られた。
これらの本格的最終処分が終了しないうちは「復旧」作業には取り掛かれないのではないか。
 そして、最終処分地は未だ決まらず、除染は今も続いている。
道端には 放射線の値を示す掲示板があり、サービスエリアでも掲示板があり
IMG_4926.JPG

一番大きな数値は4μsという数値があり、不安感をあおる。
(シーベルト)http://korobehashire.blog86.fc2.com/blog-entry-293.html
このあたりは2020年の東京オリンピックの時にはどうするのだろうか?

余談だが石巻支部の方々からは冗談めかして「よくそんなところを通って来ましたね」
と笑われた。

石巻

被災地の復興はかなりな部分が進行しているように見受けられたが
未だに避難住宅群は立ち並び、被災者の方々のご苦労が続いているのを感じた。

IMG_4928.JPG

石の森萬画記念館
http://www.man-bow.com/manga/
は被災後復旧し今は数々の展示品で訪れる我々を楽しませてくれた。
すぐ近くには
石巻市復興まちづくり情報交流館https://www.city.ishinomaki.lg.jp/cont/10151000/9200/20150302212702.html
という施設もありボランティアの方が
親切に先の震災の被害状況などをご説明して下さった。
町をちらりと歩く程度ではなんともいえないが、空き家もあるようだし
細い脇道など、下水道工事 舗装工事などはまだまだ終了していない印象があった。
津波の被害と地盤沈下で港や護岸の復旧には手間取っているようだった。

宮城県建設業協会http://www.miyakenkyo.or.jp/ 
石巻支部との意見交換 
石巻と平塚は災害協定を結んでいるということもあり
「平塚市役所の職員が派遣されていて、そのお話をお聞きした」という
平塚建設業協会の会長挨拶で意見交換会が始まった。

石巻支部の皆様からは
復旧の段階がそろそろおわり、これからが本格復興だ。というお話があった。

復興の現状と進捗は 宮城県のホームページによる
http://www.pref.miyagi.jp/site/ej-earthquake/shintyoku.html
ここは毎回「月命日」に更新されています。ということだった。
これによると計画の85%が完成しているが、まだまだ問題点があるとのことだった。

公的機関では23年度~25年度が復旧 その後25~29年度が再生期間となっている
当初から半年一年の状況と今とでは「局面」が違う。
当初・半年一年というのは仕事量が多くて計画と実施が一致しなかった。
いまは材料は手に入るが人手が足りない。技術者が足りない。そういうのが常態化してきた。

当初は なんといっても 「ガレキ撤去・運搬」「堤防の復旧」というのが2つの大きな
課題となっていた。
ダンプ 捨て場 バックホウ フォークリフトなど足りないものだらけ。
燃料確保については 建設業協会でまとめて入手。会員に割り振った。

協会員も被災者 重機も水をかぶる。
遊休地は沢山あったのが幸いした。
港のところと 専修大学キャンパスの周辺。
ここに大きな焼却炉を作った。
ほぼ2000億円の予算
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDD230HB_T20C11A8TJ0000/
石巻だけでも2000億円で合計5箇所3500億円規模?
http://www.nikkenren.com/publication/pdf/185/P077-P085.pdf

「もうわけのわからないことが我々のあずかり知らないところでどんどん進められた」
http://portirland.blogspot.jp/2012/08/hosono-gareki-kane-kankyosho-ishinomaki.html


というのが石巻支部の皆様のご意見。
先日来巷をにぎわしている恒久的施設「国立競技場問題」では2500億円の競技場新築費用が大問題となっていたが、これらの焼却施設はあくまでも「仮設」で、もうすでに解体撤去も済んでいるということだった。
あのときに問題となっていた、「全国自治体での応分の負担」というのも
そもそも、焼却すべきガレキ量の見積りが大きすぎ
ガレキ量から逆算した施設建設費だったようで実際の処分量はもっとすくなく
「応分負担」の話もいつの間にか焼却後の灰の話になり、それも立ち消えになったようだ。
とのこと。

生臭い話になりそうなのでもうやめるが
地元の建設業者は当初の「啓開」「ガレキ運搬」の部分は大いなるパワーになったようだ。


自治体との災害協定 

事前にそういうものがあったが
環境衛生関連部署 建設関連部署との綱引きがあったりして
現実には話が違う 戸惑う というケースばかりだった。
工事受発注の経験のある建設関連部署を窓口にして協会も窓口を一本化することをお勧めする。

会員各社は
国・県・市と 直轄国道などいろいろなつながりがあって
一概にはなんとも言えないが 一般顧客も含め 優先順位(プライオリティ)を検討しておくのも必要ではないか。
なにも、津波が絶対起きるとは限らない。被災地のなかでも重大な被害を蒙ったところと
軽微で済む所もあるだろうから、協会内部での協定なりルール作りも必要ではないか。

それと、前述の燃料問題だけでなく 重機などリース業者 オペレーターの確保など
関係協力業者との打ち合わせも必要ではないか
というお話があった。
借りていた機械の被害などもある。情報共有方法の検討要する。



協会の位置づけ
平成10年には78社だったが
23年に34社 いま35社
減少傾向である。
震災時 自衛隊OBが知事だったことが幸いした。
被災直後は自衛隊 消防 警察 との連携は絶対必要。
被害者の方がいるところで「業者」が勝手に手が出せない部分もある。

地元業者が関わったものは大きなパーセンテージがある。
40%地元 40%協会員が頭で下請をつけて 20%その他
なかなかやりきれない部分もある。

UR発注の案件
UR+ゼネコン+コンサル だと地元は下請けに入る程度

下水道事業団
下に入っても不調が続いている
 遠い地方の業者が施工を始めた
 中には島根県の会社もある。
http://www.iwamiginzan.co.jp/

IMG_4973.JPG
ひどい内容の仕事がないといいが。

総括的に

全体に9兆円の被害があって5,6年で元通りになるとは思えない。
阪神大震災で復旧復興に17年かかったとすればこちらは30年以上。
しかしもう世間の関心は薄れてきていないか?
まともに仕事があるのは今後2~3年ではないか。
5年もしたら仕事は終わる。その後である。

IMG_4982.JPG
次の日 大川小学校など被災地視察
http://memory.ever.jp/tsunami/higeki_okawa.html
一集落がまるまる津波に巻き込まれたところだ。
http://blog.goo.ne.jp/kimito39/e/715210b80ba75f26de0a64ca2292bac9
賠償請求額が23億円。
ガレキ焼却の額に比べたら、、、。
帰りがけに目にしたのは
牛丼三社が数十円の単位で値下げで競争するというニュースだった。
http://toyokeizai.net/articles/-/85848

仮設の焼却場に国立競技場 また被害者の賠償 そして牛丼 
同じ「お金」が使われているのが不思議なようだ。
単位と使われ方。は適正なのだろうか、、、?



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