慰霊塔の下で [雑感]
この塔がここに建立されて既に52年
特段訪れる人も無いようで
7月16日の平塚大空襲の祈念日
でも誰かが花を手向けたような形跡もなかった。
もっと言うと、夜な夜なここに集る輩がいるらしく
朝になると吸殻と見るのも憚られるゴミがおびただしく散乱しているときもある。
そんなことはいい。
もし、機会があればこの塔を訪れ、後ろの碑文を読んでみて欲しい。
建立当時の人たちの悲痛なる思いが込められている。
今ならば
「安らかにお休み下さい」だけなのだろうが
碑にはこう彫ってある。
「ねがわくは諸霊この塔にあつまり給いて
市民の誠意に応え永く世界の平和を護持されんことを祈る」
と。
「平和を護持してください」。なのだ。
亡くなった方々の御霊にも、すがるような気持ちだったのではなかろうか?
我々は 戦後育ちと言われた。
「戦争を知らない子供たち」よりもまだ若い。
喜んで戦車や戦闘機のプラモデルを作って遊んだクチだ。
戦争の体験を話すおじいちゃんおばあちゃんの話を
正直辟易しながら何度も聞いた。そんな世代だ。
しかしそんな我々でも「想像」はできるはずだ。
北朝鮮にも韓国にも、もちろん米国にも我々と同じ無名の市民は大勢いる。
そんな人たちが 今回の「チキンレース」で一滴でも血を流すことの無いよう
我々レベルでできることは無いのか?
インターネットにスマホに、いろいろなテクノロジーが発展した
21世紀も5分の1を過ぎようとしているのだ。
右とか左とか関係なく。
戦(いくさ)を止めることは出来ないのか?
私には いま何も思い浮かばないので
この慰霊碑に頭を垂れるのみではあるが。。。
平和慰霊塔の記
本市は明治以来幾たびかの戦争に
おいて尊い生命を捧げられた犠牲者
のみ霊を慰めその冥福を祈るために
昭和三十八年一月平塚市戦没者
慰霊施設建設準備委員会を設け
ここに市民の浄財と市費とをもって
この慰霊碑を造立した
ねがわくは諸霊この塔にあつまり
給いて市民の誠意に応え永く世界の
平和を護持されんことを祈る
昭和四十年晩秋
平塚市長 加藤一太郎 謹書
戦災による殉難の諸霊を平和慰霊塔に合祀し
つつしみて短歌三首を捧ぐ
米軍の空襲の日に被弾して倒れし市民(とも)の
霊(たま)を弔う
この塔に あわせまつりし悲しみの 市民の
み霊よ永久にやすかれ
戦いは地獄なりけり
つぎの世にこのかなしみをまたあらしめじ
平塚市長 加藤一太郎
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