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古矢親治さん [雑感]

戦後の焼け野原だった
ここ、平塚に青年会議所を作り
ライオンズクラブを創設し
ボーイスカウト運動を根付かせた
そんな「オヤジ」さんが亡くなった。

私の祖父とは一回りも年齢が違うのに、なぜか二人はウマが合うようで
ライオンズでご一緒させていただいたり、アメリカへの視察旅行も同行していたようだ。
いまから思えば大旅行だったのだろう。

元気な人だった。
晩年まで老眼鏡には頼らず、入れ歯にもならず
若いころの服がどれでも着られるといって
ボーイスカウトやJCの会合などにもOBとして積極参加していた。

結婚式に招待されると
式当日の新聞を買い集めて封筒にいれて封印し
「20年後の結婚記念日を持って開封の事」といって延べ何百というカップルに
贈呈していたのだそうだ。

思えば、40年以上も前から変わらぬダミ声と笑顔をたたえた風貌。
悪く言えば老け顔だったのかもしれないが、
老成していて老けない顔だったともいえる。

少年時代は、少年飛行兵だったようなこともおっしゃっていたはず。

あまりこのブログには個人名を出すことはしないのだが
備忘のために。平成27年1月19日
古矢親治さん。享年90歳。

古矢建設元社長
平塚建設業協会の会長も歴任し主に土木工事・水道工事の分野でリーダー格だった。

思えば名前も「おやじ」さん。

またひとり 平塚のオヤジが伝説になってしまった。
安らかに、は眠って、ないだろうなあ。
さっそく視察をしているのだろう。


タグ:古矢親治
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